日記「芦」
哲学っぽいことの覚書 2010/11/07(Sun.)タイトルの通り、哲学に近いこと(科学思想、文学思想、現代社会も含むと思う)の覚書。 ページ内検索はCtrl+F。 現象学的身体 <近代西欧のパラダイム-デカルト二元論> 実体…それ自体で存在できる 実体には二つありそれが精神(subject)と物体(object)、と考えること で自然科学の客観性と獲得する。さて、人間は身体と心の二つから成る が、身体は物体であり、心は精神である。物体と精神は正反対のもので あるが、実際人間は心を使って身体を操れる。これは一体何故なのか、 という問題が発生。 →認知科学(唯物論)、あるいはフッサールの現象学が登場。 フッサールの現象学 近代的二元論を忘れて、進退のありのままを捕らえる。 (私S)→(物体O)≠(身体(私)) 「物語」論 - 歴史 story=history 無数の出来事から恣意的な出来事A,B,Cを選んで「A⇒B⇒C」を一つの歴史 と呼ぶ。「歴史」とは「過去の事実」ではなく、現実の語り手(歴史学者) が自身のイデオロギーや価値観・所属によって偏向した解釈である。 ⇒(考え1)歴史解釈は、慎重かつ検証を重ねる態度が求められる。 ⇒(考え2)歴史は、国益を重視して自由に語られるべきだ。 随想の読み方 ○筆者の主観・心情を重視。 ○本文中の抽象概念(多くの場合希少)を確認。 ○表向きの卑近な話題(象徴)の背後にある一般的な主題を捕らえる。 「時間」論 ①直線的時間意識(ユダヤ教的) 神話における創生と終末のように始点と終点を結ぶ一直線が時間。 そこでは歴史は一回性、不可逆性を持つ。なぜならば、時間は過去、 現在、未来からなるが、実際に存在するものは現在という一点のみだ からである。 近代(科学)における時間の概念もこれ。時間は同質、同量である。 ②円環的時間意識(古代ギリシャ・仏教的) 生物の時間を考えた時、生、死と来て、七七日(中陰)を過ごした後、 再び生を迎える。即ち、回帰的・反復的・周期的な性質を持つ。 これによって伝統社会が形成される。 環境保全 環境破壊は「悪」だ。⇒停止・保全を目指す。⇒原因の除去 そもそも原因とは人間の経済活動である。これは人間の生存に不可欠 で基本的人権でもある。 今、開発事業が環境破壊を進めていて、これを抑制したい、とする。 裁判に訴える時 ①自然と生物の為に訴える。 ⇒自然と生物には裁判に出席して頂けないし、人権を持たない。 ②人体に悪影響が出たと訴える。⇒o.k. ユーモアとエスプリ Humor(ユーモア) … 諧謔, 自己を笑いの中心に置く。 Esprit(エスプリ)… 機知, 他者を笑いの中心に置く。 近代西欧の基本原理 分析と総合がそれである。 分析…基本単位へと分析し、全体としては複雑なものを平易に理解する こと。分析したものは総合可能。 即ち、技術的生産が可能(要素還元主義)。 例)音楽(全体)を分析して、一つ一つの音の集まりとして捉える。 分析不可能なものとしては、芸術、生命など。 近代芸術と(日本の)伝統工芸(民芸) 近代芸術…西欧近代社会の価値観そのものが投影されている。 即ち○個人主義○人間中心主義○合理主義。 求められ重視されるのは「作者」の才能、個性、独創性。 (『後世に名前を残したい。』) (日本の)伝統工芸…作者に相当するのは無名・匿名の職人。 求められるのは実用の美である。 重視される考え方は使用者本位。 (『庶民の生活の中に伝統を残したい。』) 進歩史観 時代が進むにつれ社会の価値は常に(単調に)増加する、という見方。 現在に比べ、過去は取るに足らない物であり、 未来は今より確実に価値のあるものである。 比較の為には価値の量化がなされる。 時たま量の単位として貨幣が用いられる。
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