日記「芦」

生きることは、芸術でありません。(太宰治著「風の便り」より) 入院の思い出 2011/04/22(Fri.)
私としては診察だけを受けて、適当な薬でも出してもらえれば、と
思っていたのだが、向こうは初めから私を入院させるつもりだったらしく、
そのつもりで私をここまで連れてきたらしい。私が入院生活の大半を過ご
すことになる部屋は六人部屋、つまり大きな部屋に固いベッドが六つだった。
私は頭の中でこういうのは個室に入院するものだとばかり想像していたので
いきなり面食らってしまった。

ベッドはニ掛ける三に並んでいて、ナースに連れられて部屋に入るとまず
右のベッドには、入る病院を間違えたのでないかというような老人が横たわ
っていた。後で書くがこの爺さんが一番厄介であった。私の他にはその一人
であった。もっとも、こんな部屋に寝ていると、時々、この部屋には誰も、
自分でさえもいないような気がしたり、あるいは四五人いるような気がするし、
だから人数はあまり関係ない。

自分のベッドは部屋の一番奥の右側で、窓から外の景色がすぐに見られる位置
になっていた。町が見える程度で、そもそも病院自体は町のど真ん中にあるの
で大した景色ではないが、それでも、俗世間とのつながりで一つであった。

家からいくつか本を持ってきていたし、試しにナースに言いつけてみると、毎朝
新聞を朝食と一緒に持ってきてくれた。ベッドの隣にテレビが一つずつ備え付け
られていた。体をあまり動かせない不満はあったが退屈はしなかった。

その夜、私は気味の悪いものに襲われた。先の老人のうめき声であった。その日は
耳を塞いで寝ようとしたが明け方になってようやく収まり、私は寝ることが出来た。
次の日は昼間からうめき声を出し、私は気が変になりそうだった。誰も何も気にし
なかった。一週間程してまた別の老人が、入院してきて、私の向かいのベッドに
寝ていた。骨折しているらしく、一人でトイレにも行けないそうだ。
彼は昼でもずっと目をつぶって寝ていて、飯の時にだけ起きていた。私がテレビを
見ていると、ナースがやってきて、向かいの患者が寝ているのだから、もっと音量
を下げてくれませんか、と注意されたが、彼は寝ているふりをしてテレビの音を
聞いている事を知っていた。向かいの老人の孫らしく、その子は毎日のようにお見
舞いに来て、隣で学校の宿題をしていて、時々、お使いを頼まれていた。 

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